あの鉄路は今・・・
総距離 19.3キロ
駅数6 (ただし運行は宮崎から直通)
1日6往復 12本
妻線最終時刻表 |
|
|
|
|
昭和59年2月1日改正 |
|
|||
列車番号 |
|
621D |
623D |
625D |
627D |
629D |
631D |
|
|
宮崎 |
・・・ |
657 |
845 |
1436 |
1619 |
1734 |
2047 |
|
|
佐土原 |
・・・ |
716 |
904 |
1505 |
1648 |
1806 |
2122 |
|
|
西佐土原 |
・・・ |
723 |
912 |
1512 |
1655 |
1814 |
2130 |
|
|
黒生野 |
・・・ |
729 |
917 |
1518 |
1701 |
1819 |
2135 |
|
|
妻 |
・・・ |
735 |
923 |
1524 |
1707 |
1825 |
2141 |
|
|
穂北 |
・・・ |
740 |
928 |
1529 |
1712 |
1830 |
2146 |
|
|
杉安 |
・・・ |
745 |
933 |
1534 |
1717 |
1835 |
2151 |
|
|
|
|||||||||
|
620D |
622D |
624D |
6266D |
628D |
630D |
|
|
|
杉安 |
641 |
750 |
1305 |
1600 |
1735 |
1938 |
・・・ |
|
|
穂北 |
645 |
754 |
1309 |
1604 |
1739 |
1942 |
・・・ |
|
|
妻 |
651 |
800 |
1316 |
1610 |
1746 |
1948 |
・・・ |
|
|
黒生野 |
656 |
805 |
1321 |
1615 |
1751 |
1953 |
・・・ |
|
|
西佐土原 |
702 |
811 |
1326 |
1620 |
1757 |
1959 |
・・・ |
|
|
佐土原 |
714 |
820 |
1342 |
1631 |
1821 |
2008 |
・・・ |
|
|
宮崎 |
731 |
837 |
1402 |
1657 |
1841 |
2025 |
・・・ |
|
車両 宮崎機関区
C56蒸気機関車
キハ20系気動車ほか
年表
大正2年 宮崎県営鉄道 宮崎〜福島(梅野踏切付近)間完成
3年 同 福島〜西佐土原〜妻間完成 営業開始
大正6年 宮崎県営鉄道から鉄道院に移行
大正11年 妻線杉安延伸
昭和19年11月 妻〜杉安間 軍にレール供出、休止状態に
昭和22年 3月 レール復旧、全線運転が再開
昭和29年 気動車の運行を開始
昭和34年 国鉄合理化計画の中で存亡の危機に立たされるが、沿線町村の努力でこれを回避
昭和55年 山口百恵結婚のニュースで妻駅の入場券が脚光を浴びる
昭和56年 国鉄、第一次廃止対象路線を運輸大臣に申請。妻線が廃止対象に
昭和58年 9月 利用者増を期待した臨時列車が3ヶ月間運行される
昭和59年 鉄道存続を断念。バスに転換を決定
同11月30日 満員の客を乗せお別れ列車が運行
同 12月1日 廃止、宮崎交通バスに転換
宮崎自動車道西都線整備
実地踏査
分岐点までは日豊線と複線(単線並列)だった。
佐土原〜西佐土原
佐土原駅一番線に進入する列車。廃止から33年が経つが、南宮崎〜佐土原(高鍋)間は気動車によるダイヤが存続している。
分岐点である佐土原町奈良木地区までは日豊線と併走。路盤が現行日豊線の脇にある。このあたりに県営鉄道時代の福島駅があったという。
分岐部。かなり日豊線と高低差がある。現在は町道が整備され、神社眼前を横切る通りと接続されている。
分岐して最初の踏切(のあったところ)。電気工事の会社が間に建った。こちらも現在は道路が抜けた。左手が杉安方。
警報機の台座。道路工事にかからなかった箇所では未だ基礎部が残される。
上の踏切を左に見たところ。ゆるいカーブを描いて神社の裏をとおり国道(県道)がまたぐ。